李氏朝鮮王朝の身分制度(基本的分類)

身分制度は韓国史劇にとって切っても切れない重要なファクター。ドラマの数をこなすうちになんとなくはわかってくるのですが、きちんとした決まりや基準を知らなかったのでまとめてみました。まず人々は大きく分けて良人と賤民の2つに大別されていたそうです。そしてその中でも職業や家柄によって細かく分類されていました。時代によって事情は変わりますが、ざっとこんな感じのようです。

良人(ヤンイン)

★両班(ヤンバン)≒士族

科挙に受かった中央官僚やその一族。ひいては、科挙に受かる人物を輩出しうる層として地域から認められた一門を指す。科挙に受かって官僚になれば誰もが両班という建前ではあるが、実際には勉学に励める恵まれた環境で育った者しか科挙に合格できず、時代を経るごとに限られた家門のみが合格するようになり、世襲度・特権度が増した。税制でも優遇されており、軍役も免除された。

★中人(チュンイン)

もともとは科挙の雜科で選ばれた技術職の役人を示す言葉だったが、やがて両班の庶子や下級役人・地方役人も含まれるようになった。この階級の有名な職業としては、医員・通訳(張禧嬪の家系ですね)・数学者・法律家などで、その下のランクには天文官・画員がある。専門知識を必要とするため世襲されることが多かった。専門技術を利用して富を得たり、両班になれることもあった。

★良民(ヤンミン)・常民(サンミン)・平民(ピョンミン)など

一般市民。日本で言えば士農工商のうち「農工商」な人々。ほとんどが農民で、農民のほうが商・工より上とされた。法的には制限されていないものの、現実的に官職につくことは皆無だった。李朝後期になるほど賎民との垣根は低くなり、彼らと結婚する人々も多くいた。

賤民(チョンミン)≒奴婢

★公奴婢(コンノビ)または官奴婢

国家が所有する。正確には、各省庁や各宮に所属している。宮女・医女・妓生もここに該当。え?宮女もそうなの?とイメージ的には意外かもしれないが、国(宮)に所属し国のために働いて国から賃金をもらうという形態はまさしく国家公務員(ただし実際には良人も宮女になった)。壬申倭乱以降は身分の制約が緩み、戦で功績を上げたり多額の納税をすれば良人になれたし、ひいては両班になった者も。経済的に豊かな人は身代わりを差し出すことで解放された。

★私奴婢(サノビ)

個人に属する。「公」よりも「私」のほうが圧倒的に多かった。ドラマでは主人の屋敷に住んで労働力を提供している姿をよく見るが(外居:ウエゴ)、両班は全国に所有地を持っていたので主人とは別に住んで農耕などをする人々も多数(率居:ソルゴ)。良人になれる可能性も残されていた。特に外に住む人たちには自由があり、土地を所有することも許されており、農業・商業で財産を蓄えることも可能。作物の種をくすねたり、主人の代理で商売を行う際にちょっぴりごまかして私腹を肥やすなど、ドラマのイメージとは違う自由さやしたたかさもあったもよう。ただし逃亡をはかって捕まると悲しい結末に。

★白丁(ペクチョン)

良民に戻れない最下位層。高麗時代は良民の中でも軍役を服されない人々の呼び名。朝鮮王朝に入り意味合いが異なってきたもよう。朝鮮王朝初期に高麗時代の漂白民を農耕化させ他の人々と婚姻させようとしたが、思うように進まず、独自の集落で暮らすようになり、特定の業務を担うようになった。ある程度の自治が認められており、独占業務だけにけっこう「儲かった」らしいが、瓦屋根の家に住むことは許されなかった。

彼らは自分たちの仕事を牛の霊魂に立ち会う神聖な仕事だと考えており、菜食で仏教に帰依する人も多く、他には通じない隠語もあり、服喪も徹底していたという。革靴屋が登場するドラマ「王朝の暁」の説明によると、子供ができるまでまげを結うのを許されず、役人の許可なく良人の村に入れないなど、厳しい制約が課されており、村を勝手に出て通行人に殴られる描写も。ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のチャングム父が、もとは両班だったがこの層として暮らして身を隠していた。

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