宮殿ではおよそ600人の女官・尚宮が住み込みで働いていました。華やかな宮殿に身を置きながらも、一生を独身で通し、死ぬまで外で暮らせない運命にある彼女たち。ドラマではお茶目な脇役として、濡れ衣を着せられて命を落とすはかない存在として、ときには王の寵愛を受ける権力者として登場します。今回はそんな宮中で過ごす女性たちが宮女・尚宮になるまでをまとめてみました。
★公募
宮女の欠員が出ると公募され、おもに賎民や親をなくした子供が選ばれた。「ほぼ縁故採用」と書かれている書籍もあり、朝鮮王朝初期には両班の庶子から選ばれ、中期になると一般ピープルになっていったとか。王と王妃のそばで仕える至密(チミル)だけは年に一度募集され、身分も中人以上に限定され、入宮年齢も4-5歳と早かった。
★見習い官女
約10~15年におよぶ見習い期間に入り、一人前の宮女である「内人(ナイン)」をめざす。できが悪いと追い出されたらしい。彼女たちはアギナインと呼ばれるが、至密とそれに次いで格の高い針房(チムバン)だけはセンガクシ(センガッシ)と呼ばれた。至密では高い教養が必要とされ、『千字文』『小学』『内訓』などを読んで世子に匹敵するほどの教育を受け、宮中独特の「宮体(クンチュ)」というハングル書体も身につけた。
★内人(宮女)
18歳(20歳かも)になると成人式にあたる「冠礼」を経て正式な内人になる。これは王を夫とみなした結婚式の意味も含まれており、生涯を独身で通さねばならない(「王の女」ではケトンがこの行事を涙で迎えていた)。内人になるとお師匠役の尚宮から独立し、内人どうし数名で一室に暮らす。
部署は、至密(王と王妃の身辺の世話を担当)・針房(衣類や寝具の仕立て担当)・繍房(刺繍担当)・焼厨房(水刺間にあたる内焼厨房は王族の食事を担当・外焼厨房は宴会の食事を担当)・水果房(果物や茶菓などの軽食担当)・洗踏房(洗濯や染色担当)・洗手間(洗顔や沐浴の水や“ご不浄”を担当)などがある。一番人気はなんといっても至密。他部署より大きな力を握れるのはもちろん、王様や王妃様のおいしい食事の残りをもらえたり、外部エリートと接する機会も多く、いろいろと“おいしい”部署だったもよう。
★尚宮
内人生活を15年過ごし、35歳になるとようやく尚宮の座に。個室と家財道具が与えられ、実家に奴婢を置くことも許され、身内を呼び寄せて世話をさせることも認められる。それなりの固定給のほか、慶事ごとの下賜品(やおそらく心づけ的なもの)もあったため、収入の多くを実家に送っていた。
尚宮にも色々な種類があり、一般尚宮のほか、保姆尚宮(王室の子供たちの教育担当)・訓育尚宮(内命婦の教育担当)・監察尚宮(女官の素行監視や勤務評定担当)・スバル尚宮(王と王妃以外の居室の世話を担当)・至密尚宮(王と王妃の身辺の世話を担当)・提調尚宮(すべての女官を統括し王宮殿の命でさまざまな業務を担当)などがある。例外は、王のおてつきとなった特別尚宮・承恩(スンウン)尚宮。ただしこの段階では側室の一歩手前にすぎず、寵愛を得て子供を産むと、晴れて正式な側室になれる。
★退職(出宮)
体調が悪ければ最高の医療機関である内医院で薬を処方してもらえるのも宮中づとめ&国家公務員の特典。ただし重い病になると、王族以外は宮殿内で死ぬことは許されないため、宮殿から出されて退職となる。また、仕えている主人が逝去したときも希望すれば退職できたが(「イ・サン」で元嬪が亡くなった後に王妃が「宮殿を去るか残るか好きなほうを選べ」と指示する場面あり)、その後も原則として結婚はできなかった。実家がない尚宮の多くは晩年を寺で過ごしたという。