朝鮮王朝で最初に王妃の座についた神徳王后康氏(1356-1396年)

<概略>朝鮮王朝第1代国王・太祖の正妃。本貫は谷山康氏。父は象山府院君カン・ユンソン(康允成)、母は晋山府夫人姜氏(晋州姜氏出身)。忠恵王時代に名を馳せた父や叔父を輩出した、高麗時代から続く権門一族出身。勢いのある武人に過ぎなかった21歳年上の太祖と結婚し、京妻(都におく側妻)となる。美しく知略にたけた女性として伝えられ、実家の財力とネットワークも太祖の出世に大いに貢献。2男1女をもうける。

郷妻(田舎の正妻)ハン氏(神懿王后)の逝去後に太祖が王朝を開いたため、実質的に李氏朝鮮初の王妃となった。チョン・ドジョン(鄭道伝)ら開国功臣の協力を得て末っ子の幼いバンソク(芳碩)を世子にするも、ハン氏の産んだ大君たちとの対立を招く。彼女の死後、太祖は供養地をみずから探して興天寺を建立。供養の日々を送った。やがて第一次王子の乱で息子たちは命を断たれ、娘も剃髪して仏門に入る。後にハン氏の息子バンウォン(芳遠)が太宗になると、墓陵の移転や庶母への降格などで復讐され、死後300年近く経った顕宗時代に復位した。

<子>
撫安大君イ・バンボン(1381年-1398)
宜安大君イ・バンソク(廃世子)(1382年-1398年)
慶順公主(?年-1407年)

<補足>どの書籍を見ても「太祖に愛された」と記されている、ある意味幸せな王妃さま。神徳王后の死後、後宮ユ氏を迎えても太祖は心の空白を満たすことはできなかったそうです。結婚した時点では、田舎者の武人にすぎなかったイ・ソンゲ(太祖)よりも神徳王后のほうがダントツに格上。即位までの出世街道にも豪族カン家のパワーが欠かせなかったようです。太祖って逆玉だったんですね~。そのうえ若くて美しくて男の子も産んでくれたとなれば、奥様を大切にするはずです(とはいえ前妻一家を冷遇してはいけないと思いますが)。ちなみに神徳王后と太祖はもともと遠~~い姻戚関係にありました。また、太祖と義兄弟の契りをかわした女真族出身トゥン・ドゥラン(=李之蘭:イ・ジラン)の夫人ユン氏は神徳王后の姪です。

<ドラマに見る神徳王后>
「龍の涙」では気が強いけど女性らしい神徳王后をキム・ヨンランさんが演じました(本に書かれているほどの賢さや男勝り度は感じず)。他のドラマでのヨンランさんはお美しいけれどもどこか“おかあちゃん”っぽさを感じるのですが、「龍の涙」では頬がスリムで本当にお綺麗。太祖が愛するのもナットクの魅力でした。死を予感した神徳王后が、残された太祖のために肖像画を描かせたエピソードがとてもよかった。バンウォンに投げられた鹿におののくお姿も忘れられません。

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