名実共に糟糠の妻なのに冷遇された元敬王后閔氏(1365-1420年)

<概略>朝鮮王朝第3代国王・太宗の正妃。本貫は驪興閔氏。父は驪興府院君ミン・ジェ(閔霽)、母は砺山宋氏出身。高麗末期の儒教の名門出身である父も、高麗時代に正一品職に就いていた人物の娘である母も、穏やかな人柄として伝えられている。二歳年下のイ・バンウォン(後の太宗)と18歳で結婚。新興名門にすぎなかった婚家が日に日に勢いを増す中で、五男という立場ながらも野心ある夫を実家の弟たちと共に支え、義父イ・ソンゲ(太祖)がついに朝鮮王朝を開いた年に靖寧翁主の諡号を受ける。

夫の政敵チョン・ドジョンが私兵解体を進めた際には武器をひそかに実家に隠し、第一次王子の乱ではとっさの機転で夫を救い、第二次王子の乱では夫の無事を確かめるためにみずから馬を走らせるなど、政変のたびに内助の功を発揮。義兄バングァが定宗となり、夫バンウォンが世弟に封じられると静嬪(正嬪)になり、ほどなくしてバンウォンが太宗として即位すると王妃の座にのぼりつめた。

太宗は妻の多大な功を認めてはいたが、王権強化のために多くの側室をもったことで夫婦関係が悪化。また、太宗は世子(譲寧大君)が幼い頃を過ごしたミン家の叔父たち(=外戚)と強く結びついているのを警戒しており、元敬王后の弟であるミン・ムグとムジルを賜死させ、続いて下の弟であるミン・ムヒュルとムフェも粛清した。これにより太宗との不和を極めた元敬王后は廃妃を検討されるほどの危機に立たされる。太宗からの冷遇に加え、世子だった譲寧大君の無分別な行動が問題となり弟の忠寧大君が世子になった事件や、寵愛していた末の誠寧大君を病気で失うなど、晩年まで心労が絶えなかった。現在は太宗と一緒に献陵に眠っている。

<子>
大君(夭折)
大君(夭折)
大君(夭折)
譲寧大君(廃世子)(1394年-1462年)
孝寧大君(1396年-1486年)
忠寧大君(世宗)(1397年-1450年)
誠寧大君(1405年-1418年)
貞順公主(1385年-1460年)
慶貞公主(?-1455年)
慶安公主(1393年-1415年)
貞善公主(1404年-1424年)

<補足>太宗時代を描くドラマの華といえば、なんといっても打ちひしがれる元敬王后の姿(性格悪くてすみません)。現代女性として見るのか一国の主として見るのかなど、視点によって太宗と元敬王后の評価は変わると思うのですが、やはり女性としては涙なくして見ることができません。元敬王后についてはどの本にも同じような逸話が書かれてあり、太宗即位までの尽力っぷりと、即位後は太宗の後宮問題とミン兄弟の悲劇がほとんど。あとは世子チェンジに触れられるくらいでしょうか。臣下に弾劾されても結局は王妃の座にとどまれたのは、世子の生母という立場を太宗が考慮したからのようです。韓国大河ドラマで王妃が弾劾されるときに王妃保護派が必ずと言っていいほど持ち出すのが「元敬王后」「昭憲王后」「廃妃ユン氏」ですよね。

太祖と神徳王后のときのように、太宗も逆玉だったようで、結婚したときはミン氏の家門のほうが格上。ちなみに元敬王后の父ミン・ジェは本当に尊敬を集める人物で、太宗からも一目も二目もおかれていたとか。また元敬王后には粛清された四人の弟のほかにも姉が二人おり(子だくさん家系なのでしょうか)、一人はチョ・バク(「龍の涙」に出てきます)と、もう一人は太宗の従兄弟(太祖の庶兄の息子)であるイ・チョヌ(こちらも「龍の涙」に出てきます)と結婚しています。

<ドラマに見る元敬王后>
「龍の涙」ではチェ・ミョンギルさんが若かりし頃から晩年までを見事に演じ切っていらっしゃいました。血気盛んな時代の気の強そうなお姿にも、これまで流した血に詫びて人生の空しさにむせび泣く白髪のお姿にも魅せられました。このドラマで演技大賞を獲得されたのにも納得です。

「大王世宗」でも「龍の涙」と同じチェ・ミョンギルさんがキャスティング!こちらは息子の世宗が主役のため、太宗即位後を演じています。

スポンサード リンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする