夫と息子の晴れ姿を見られなかった神懿王后韓氏(1337-1391年)

<概略>朝鮮王朝第1代国王・太祖の正妃。本貫は安辺韓氏。父は安川府院君ハン・ギョンニョン(韓敬敏)、母は三韓国大夫人申氏(朔寧申氏出身)。咸鏡道の(おそらく地味な)豪族出身。同じような家柄のまだ無名だったイ・ソンゲ(李成桂)と15歳で結婚。夫が数々の武功を立てる間、家を守り6男2女をもうけた。夫が京妻(都におく側妻)カン氏を迎えた後は、子供たちと同居。イ・ソンゲが王位につく決定的なきっかけとなった威化島回軍の際には家族で東北面へ避難した。51歳で逝去し、その約1年後に朝鮮王朝が建国される。太祖となったイ・ソンゲは彼女に節妃(チョルビ)という諡号を与え、二男の定宗の時代に正式な王妃として追尊され、最終的には神懿王后の呼称に落ち着く。

<子>
鎮安大君イ・バンウ(1354年-1393年)
永安大君イ・バングァ(定宗)(1357年-1419年)
益安大君イ・バンイ(1360年-1404年)
懐安大君イ・バンガン(1364年-1421年)
靖安大君イ・バンウォン(太宗)(1367年-1422年)
徳安大君(夭折?)
慶慎公主
慶善公主

<補足>神懿王后の本貫地にそびえる風流山は、彼女が生まれたときに風の音が三年間鳴り響いたことからこの名がつけられたという伝説があるそうです。残念ながら夫イ・ソンゲは後から迎えた京妻カン氏(後の神徳王后)を寵愛し、彼女とその子供たちと暮らしました。ドラマ「龍の涙」では、「病の義母上をほとんど見舞わない義父上はあんまりだわ!」と嫁のミン氏(後の元敬王后)が憤ってましたね。

田舎の本宅を守る郷妻でいわば糟糠の妻だった神懿王后は、息子をたくさん産んだものの、夫の出世には寄与できませんでした。カン氏は若くて美しいだけでなく、イ・ソンゲをはるかにしのぐ中央政界の名門出身。神懿王后の一族とは比べ物にならなかったのです。さらにせっかく夫が王になる少し前にこの世を去ったため、王妃としての栄光は味わえず、少しお気の毒ですね。ですが、二男バングァ(定宗)は短い間ながらも玉座に座り、科挙にも受かった文武両道な五男バンウォン(太宗)は王朝の基礎を固めました。

<ドラマに見る神懿王后>
「龍の涙」ではハン・ヨンスクさん(「女人天下」のオム尚宮役の方)が晩年の神懿王后を演じました。病気がちで伏せっていたシーンが多かったように思います。控えめで穏やかな人柄に描かれており、「兄弟仲よく・・・」と息子たちに何度も言い聞かせていました。その願いも空しく二度にわたる王子の乱が起こってしまいますが・・・。

朝鮮王朝500年シリーズの「太宗大王」でも、晩年のみ登場。夫イ・ソンゲは楸洞(チュトン)で京妻カン氏と暮らしており、郷妻だった神懿王后のことは長男が看ていたよう。「龍の涙」ほどの存在感も示さずに逝ってしまうキャラでした。

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